幻想の横断

幻想の横断は、去勢を超えることに関わっており、神経症を超えるユートピア的な契機を持っている。すなわち去勢された主体は、他者の欲望を主体化していない主体であり、他者へと症状として従属することによって苦しめられ続け、しかしそこから二次的利得を得ている主体である。症状は、他者に宛てられた、主体についてのメッセージとして理解することができる。主体は自分のメッセージと存在が意味を持つようになる場所・目的地から分離できるまでは去勢されたままなのである。このようなラカンの文脈では、去勢は、生物学的器官やそれへの脅威とは明らかにまったく関係がない。それにもかかわらず、特殊な文脈では、そういった脅威によって、男の子はお気に入りの快感対象としての母=他者への愛着から分離できるようになる。しかしその脅威は、去勢を乗り越えるために要請されるさらなる分離を引き起すことはできないように思われる。最初の種類の分離、すなわち幻想によってもたらされる分離を通して、ある種の存在が獲得される。それにもかかわらずラカンは、消失について、つまり、対象原因が際立ってくるにつれて神経症的主体が幻想のなかに消えていくことについてまたしても語っている。 不幸というものについて